2009年12月アーカイブ

鬼押出し・浅間園に観光めぐり!

鬼押出し・浅間園(おにおしだし・あさまえん)は、群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢(正式な所在は群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原)にある長野原町営の公園であり、一帯は1783年8月5日(天明3年7月8日)におきた浅間山の噴火の際に流れ出た溶岩である。

浅間山の前掛山噴火口から短時間に流出した大量の溶岩が火口から5.5km(水平距離)、広さ6.8km2(分布面積)、推定体積1.7×108m3の規模で広がり、末端部では50m以上の厚さに達する塊状溶岩(主として安山岩)で構成されている。その姿がまるで鬼が押し出して作ったようだと言われた事から「鬼押出し」と命名されたといわれている。なお、英語でも「Onioshidashi lava flow」と表記されている。

1963年に設置され、園内には浅間山と火山の資料を集めた「浅間火山博物館」(1967年開設)及び1955年に近くで行われた第1回全日本オートバイ耐久ロードレースを記念して設置されたオートバイの資料館である「浅間記念館」、キャンプ場などが併設されている。



日本におけるリゾート・観光開発

日本における近代リゾート開発は、明治時代に外国人の山岳避暑地として始まる。現在の兵庫県神戸市の六甲山において、1874年(明治7年)に日本最初の近代登山が外国人パーティにより行われ、その後登山道とハイクのための山上の歩道の整備が行われた。


次いでイギリス人貿易商A.H.グルームが1895年(明治28年)に三国池の畔に別荘を建てたのを始まりとして別荘地が形成され、1903年(明治36年)に日本初となるゴルフ場が開場するなどレジャー用施設が建てられた。これらは全て神戸居留地の欧米人により行われた。




高原避暑地として広く知られる長野県の軽井沢は、1888年(明治21年)よりカナダ人宣教師のアレクサンダー・クロフト・ショーが別荘地を建設したことが始まりである。1893年に東京と鉄道で直結されたこともあって、1918年に西武、1945年には東急と、東京の企業が開発に参入して一大リゾート地となった。



また、海浜避暑地は、宮城県の七ヶ浜(当時の仙台区の東方。松島の一部)において、1888年(明治21年)の海水浴場開場および1889年(明治22年)からの外国人宣教師らよる別荘建設(高山外国人避暑地)が始まりである。これらは東アジア各地から避暑をしに日本に集まる外国人の長期滞在に対応したものである。



近年のリゾート開発は大規模な面積を要し、多大の資金と長期間の計画的な投資を必要とすることから、ヤマハや東急、西武など、オーナー経営色の強い企業がリゾート開発を企業体として行ってきた。

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